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20260610
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20110501

「ジャンパー」
ダグ・リーマン監督

「もし瞬間移動出来たら」という誰でも思い付く、ありふれていてなおかつ魅力的で面白そうな題材を使ったつまらない映画でした。
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20110426

「キャットウーマン」
ピトフ監督/ハル・ベリー主演

謎のお婆さんが悪い形で謎のまま、最後は理由なく男を捨てて去るのであった。

良いところはあんまり無い作品ですが、特にまずいと思われるのが主人公の被るマスク。
どうしても被らなきゃ駄目ですか。
正体がばれてからも魅力的な素顔を隠す意義は何ですか。
被ってる時間が長くないですか。
これのおかげで取り柄無し。
20110425

「イーオン・フラックス」
カリン・クサマ監督

シャーリーズ・セロンのイメージビデオだと思って見れば良いかもしれない。

この作品に限ったことではなく、ちょくちょく見かける設定なのだけれど「クローンがオリジナルの記憶を引き継いでいる」という設定に、すごく違和感を覚える。実際にはもしかしたらそういうこともあるのかもしれないけれど、DNAレベルでそこまで詳細な情報が残るかしら?いや、ねえだろ。と思ってしまう。
20110422

絵を描いていて、思い通りに描けない原因が分からないのが一番苦痛を感じる。
どうしてそうなっているのかが分かれば、解決に至るまでの道筋はすぐに判明する。解決は可能だ。

様々なアプローチを試みても、どうしてもうまくいかず、原因も皆目不明な場合にはその絵から逃げ出すしかなくなってくる。追い詰められてそれでも、到底掘り進めないような硬い岩盤に立たない刃を虚しくぶつけることを続けていると全く嫌になってきてしまう。これが嫌で絵を描くこと自体が嫌になるほどである。
今までの経験から、こういう風になるのは細部を描くときである。描いている「部分」だけしか見えなくなって、「全体」が見れなくなって、根本からおかしくなっていることに気付けない状態である。見ている細部の中だけでは正しく見えて、周囲と調和していないのだけれど、細部の「正しさ」にこだわるあまりに、そして原因が本当に根本的すぎるために、乖離に気付けないのである。
全体を見て全体を描くようにすれば良いのだが、こういう精神状態のときには自分でそれが出来ていると思っているので抜け出るのが難しい。強制的に気付かせる手段として「絵から一歩離れる」というのがあるけれど、それを知っている自分はとっくにそれをしている。ここまでくるのに、それで気付けてこなかったからこそこんなになっているのである。原因不明で近視眼的なまま。
空間的に離れて駄目なら時間的に距離を取るというのも有効である。時間に余裕があればであるが、時間を空ければ空けるほど良い。その絵に関する記憶を薄れさせ新たな気分で再開できるであろうから。ところが前と同じ轍を踏むという結果も実は珍しくない。また原因不明で近視眼的に。

そこに落ち込む理由は歪みの集積か、自分が全然気付いていないか、または全然知らない重大な構造的欠陥の存在である。解決法はひたすらの試行錯誤以外には無い。と思う。終わりの見えない試行錯誤の無限地獄は金輪際絵を描くのをやめたくなるほど本当に苦痛なのだけれど、解決した時の快感もまた絵が好きな理由である。というかそれこそが絵を描くことだと思っていたりする。どうしてうまくいかないのか理解し、思う通りにするにはどうするのかを試行錯誤を経つつ発見・決定する快感。


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油画ルサンチマン/oil paint ressentiment
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