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20260705
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善良な心の持ち主が美しいとは限らない。けれども人間には情報の補正機能があるので、善良な心の持ち主だと知っていればその分その人の美しさにプラス補正がかかる。それが普通。美しさに関してだけでなく、補正は他にも多分色々ある。
絵を描く時にはこの補正機能を一旦解除できる能力が必要である、と思う。
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絵を描くことと、ある画像を知っていることとは違う。私はよくこれを混同してしまう。
うまくいっている時は「絵を描くこと」ができている時で、より良いかたちを追って心と体が完全な共同戦線を張る。ほとんど全ての事象を楽しんで受け入れる。ほんのわずかな時間であるけれども、このとき私は無敵である。
うまくいかない時は「描出という作業」自体が「絵を描くこと」であることを忘れている時で、頭の中で思い描く「画像」は描出作業を経て再現されるまではまるで不完全で、存在していないことをはっきり認識していない。心が体を置いて行き、ストレスが募る。

持っているものを使って進めるだけ進み、行き詰ったら持っていないものを探してきて壁を壊す。私なりにこの繰り返しをして絵を描く。この知識なり技術なりの「持っていなかったもの」は「以前に持っていたもの」であるように感じることがある。デジャヴのように、知らなかったことを新たに「知った」はずなのに「思い出した」かのように感じるというような。
そういうときに時間は円環状に閉じているのかもしれないと思う。

「理解」していなくても感覚で補足していることで、把握度合いがぼんやりしているものについては、改めて知識を獲得して「理解」することでがっちり掴むことができる。感覚で補足していても把握程度が高水準にある場合、改めて知識で上書きする項目はほぼ無いので「そんなこと言われなくても分かる」と思う。


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